スタッフ

    1977年6月20日生まれ、愛知県出身。ポーランド国立映画大学で演出を学ぶ。2017年に公開した『愚行録』では、2016年ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に選出されたほか、新藤兼人賞銀賞、ヨコハマ映画祭、日本映画プロフェッショナル大賞では新人監督賞も受賞。その他の主な映画監督作には短編『点』(17)がある。

    ―今回の映画化にどう取り組みましたか。
    「映画化と実写化は、似て非なるものだと思っています。実写化はひとつひとつのシーンを映像に翻訳し直し、積み重ねていく。山登りで言うと、原作者が往った道を歩いていくけれど、日が暮れたら山頂まで往かないで戻ってくる。そういうイメージが僕にはあるんです。でも映画化は、道筋がどうであれ、頂上らしきところに往って旗を立ててこないといけない。おそらく恩田(陸)さんが往った道を辿っても頂上まで往けないと思いました。映画は(原作とは)違う頂上のような気がしないでもないのですが、ただ、なにがしかの『高い景色』を見てきたとは思っています。その『違う道』のひとつがモノローグを使わないこと。この部分は松岡(茉優)さんの芝居に託しました」
    ―栄伝亜夜はほとんどしゃべらない主人公ですよね。
    「現場では、『今日も亜夜、一言もなかったね』という日が多かったんです。でも、松岡さんは目線ひとつ、表情ひとつで、いろいろなものを語ってくださる。
    どこかにダイヤモンドの原石はある。それを掘り起こして磨いてみる。そういうことを繰り返していた気がします。それは松岡さんだけではなく、他のキャストすべて、スタッフすべてに言えることだと思います」
    ―天才たちの物語ですが、ひとりひとりは人間なのだと気づかされました。
    「ピアノコンクールに出場するのは10代から20代前半の子たち。ものすごく高度なことをやっていますけど、実際は少年少女。だから、キラキラしていていいのだと。それがこの本のいいところでもあると思っていました。なので、あんまり洗練しすぎるのは良くない。音楽家の物語というと、哲学的なことも出てくることがあります。たとえば、自分の音楽にはどういう意味があるんだろう? とか。そこに行き過ぎたら良くないなと。内面を見つめる精神世界もあるけれど、身体性がすごく大事なお話だと思いました。そこのバランスはすごく気を遣っていましたね。
    才能というものは、悟りや洗練とは別なところにある。作り手としては『才能とは何か?』を考えながら撮るんですが、でもそこに立っている人には『才能の塊』でいてほしい。『才能そのもの』としてそこに立ってほしい。4人とも、そんなふうにカメラの前に立ってもらえたのが良かったと思います」
    ―解釈や理由づけが一切ないのが潔いと思いました。
    「解釈や理由づけによって、音楽が、才能が理解できた……というお話ではないですからね。『蜜蜂と遠雷』という小説のすごいところも、そこに落とし込まずに、あくまでも彼らの立場から書かれているところですから」
    ―どのような「山登り」になりましたか。
    「何回も遭難しながら、指も凍傷になりながら、這いつくばりながら匍匐前進で、ようやく旗を立てた(笑)。でもひとりで登っていないことだけは確かです。みんなに担いでもらいながら、なんとか登りきることができた。どこか(高島)明石に感情移入しながら、凡人なりに積み重ねていけば、きっと『届くもの』が作れる。そう信じていました」[テキスト:相田冬二]

    ポーランド映画大学で撮影を専攻し2005年に同校を卒業。セカンドユニット撮影監督としてアニエスカ・ホランド監督によるオスカーノミネート作品『In Darkness』に参加したことをはじめ、これまでに数多くのポーランド人監督と作品を制作。巨匠、クシシュトフ・ザヌッシの『Eter』と『Foreign Body』では撮影監督を務めカメリマージュ国際映画祭最高賞であるゴールデン・フロッグ賞(金蛙賞)候補となった。石川慶監督とは『愚行録』(17)に続き2度目のタッグ。